木曜日

朝のウォーキングの時に寄ってみました。

枚方市の平和マップに掲載されている「枚方製造所跡の土塁」。
子どもの頃、友達といつも遊んでいた場所ですが、今でも地域に残っています。

以下、一部
枚方市のホームページからの抜粋となりま

〜枚方製造所・禁野火薬庫ともに火薬を収蔵した倉庫は、爆発しても被害が拡大しないように、倉庫の屋根の高さまで達する堅牢な土塁で1棟ずつ囲まれていました。1945(昭和20)年の終戦により軍施設は閉鎖され、以後周辺開発に伴い土塁や建物・施設等は取り除かれましたが、高陵小学校の南側には禁野火薬庫の土塁が、また、東側の校門付近や中宮第三団地内(写真)には枚方製造所の土塁が残り、戦争の生き証人となっています。〜

枚方市は1939年(昭和14年)3月1日に禁野火薬庫の大爆発により多くの方が亡くなり、そして大きな被害を受けました。
このような惨事を繰り返さないよう
1982年(昭和57年)に府内で初めて非核平和都市を宣言。
そして1989年(平成元年)に3月1日を枚方市平和の日と制定されています。

毎年市内の戦争遺跡巡りバスツアーが行われていましたが、今年度は新型コロナウイルス感染症の影響により遺跡場所を限定し、先月ウォーキングツアーが行われました。
来年はまた市内の戦争遺跡をめぐるバスツアーが開催できる事を祈っています。

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