名前の由来

「富枝」という名前が子供の頃、好きではありませんでした。

私達の世代は「○○子」と子で終わる名前が多く、憧れました。

父はいつも私の事を「宝物」だと言ってくれています。
何故かといいますと男児が二人続き三番目に女児が産まれた事、そして父の二度目の選挙当選後すぐに私が産まれた事、こんなめでたい事が続いた事をたいそう喜んだと聞きました。

早速名前を決めなければならないと思い考えたのが、両親の名前から一文字ずつ取り「富枝」と決めたとか。

子供ながらに単純な名前の付け方だと思いましたが、今となっては両親の名前を貰った事を誇りに思っています。

だから敢えて平仮名にせず貰った漢字の通り使っています。

小さくなった身体で母は毎日、私の事を気にしてくれます。

母の娘であることに日々感謝しています。
父の調子が悪く、父の事、私の事を気に掛けている、自分の事はいつも後回し。
「私は大丈夫だから自分自身の事を気に掛けて」と言いますが、絶対そうはなりません。
母のような親になるにはまだまだ足りません。

母の期待に添える様、私は自分自身もっと努力をしなければならないと常に思っています。

禁野火薬庫

枚方市には、戦前、火薬製造所など旧陸軍施設が3か所ありました。

その一つ禁野火薬庫が1939(昭和14)年3月1日に大爆発を起こし、約700人もの死傷者を出し大きな被害をもたらしました。

当時12歳の少女だったという方のお話をお聞きしました。

大きな爆発音と共に黒煙が上がったそうです。
それを見ていた時、憲兵さんに「ここにいては危ないので早く逃げなさい」と言われ、淀川沿いの堤防を歩き、隣の八幡市まで逃げ込んだそうです。
道中、火の粉が頭の上から数限りなく降ってきたといいます。
一緒に逃げた友人は「もう駄目や。ここで死のう」と言われたそうですが「諦めたらあかん」と友人を励まし、必死で逃げたそうです。
家族とバラバラになり一週間、八幡の宿に身を寄せていたという事です。
その後、家族と会えた事を喜び自宅に戻ると家は焼けてしまっていました。
しかし、「今こうして元気に暮らせている事に感謝しているんだよ。」と笑顔でお話されていました。

強い気持ちを感じました。
戦争を知らない私にこの様なお話を聞かせていただいた事を有り難く思いました。

枚方市より

東北地方の地震により、市民の方々から枚方市に対して、「うちの空き家を使って下さい」という声を頂いている事を受け、枚方市は無償で貸与して頂ける物件の登録受付を開始しました。

実際に貸与して頂けるかどうかは先方のニーズを把握し、判断される様です。

詳しくは市ホームページをご覧頂くか若しくは支援本部事務局(072-841-6095か072‐841‐6097)までお問い合わせ下さい。

今のところ何件かの登録があるそうです。
善意のお気持ちに感謝です。

手作り

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木彫りのサークル活動をされている方とお話していた時の事。

「知り合いの人が作っているのです」と頂いたのがうさぎの木彫りです。

高さおよそ4センチ。
携帯電話などに付けれるストラップになっています。
木のぬくもりを感じ、そしてうさぎの表情が柔らかく癒される作品です。

よく高齢者の方々の様々な活動を見させて頂いていますが、「高齢者」とお呼びするには失礼なくらい皆さんイキイキと暮らしておられます。

人はひとりでは生きていけないと常に思っています。たとえ毎日でなくても誰かと話が出来る、何かを一緒にやっていける、身近に誰かが居てくれる、そう思える事が大切だと考えます。

景品

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息子が中学生の時にゲームセンターで獲得した景品です。

大きさは50センチ以上のエビ(?)です。
少しグロテスクな感じですが見慣れてくるとカワイイ…

見ると息子が大学の入学式に備えて買ったネクタイをエビに締めていました。

何とも可愛らしい…
思わず写真を撮ってしまいました。

東北高校

センバツ高校野球大会で東北高校が今日、大垣日大と対戦。

およそ1000人が避難生活を送っておられる宮城県気仙沼市の総合体育館では、広場に大型ディスプレーを設置し、食い入るように試合を見つめていたとか。

結果は1回戦敗退となってしまいましたが、選手たちの懸命なプレーにはさぞ勇気づけられた事と思います。

選手たちも胸を張って地元に戻って欲しいですね。

自治会

一年間という短い期間でしたが、自治会組長をさせて頂き、自治会会長さんはじめ役員の皆様のご苦労がよく分かりました。

本当に色々な資料作りや行事を作りあげてこられた事に感謝しています。

地域を守る事の大切さを改めて教えて頂いた気がします。「誰かがやっている」というのではなく時間や労力を費やして頂いて自治会という組織を支えて頂いている方々が居られるということを認識していかなければなりませんね。

来年度も宜しくお願い致します。

60勝

智弁和歌山の高嶋監督が甲子園での監督通算勝利を60勝とし、最多記録を更新しました。

凄い記録です。

因みに2位はPL学園の中村監督、58勝。

高校野球が大好きになったきっかけは、横浜高校の吉岡選手でした。
当時、県大会で高校時代の原監督の打率記録を抜いたくらいスゴイ選手だったのですが、世間では1年先輩の愛甲投手が有名でしたので余り注目されていませんでしたが、翌年も愛甲投手が居なくても夏の甲子園に勝ち進んできた時、本当に感動し、報徳学園(金村投手の時代です)に負けてしまった時は涙を流したくらい悔しかったのを覚えています。

その時に渡辺監督が出された本を買った事を思い出しました。
その渡辺監督は47勝。

それでも凄いと思いますが、高嶋監督にはこのセンバツで更に記録更新して頂きたいですね。

買えないもの

久しぶりに気心の知れた人とお話することが出来ました。

相手の方の考え方を知る事で自分がひとつ成長していくのが分かります。

自分の生き方を改めて考える事が出来る、どんなに忙しくしんどいと思っていても笑顔で迎えてくれる、そんな人が近くに居てくれる今の私にはとても有り難い事で、決して裏切る事は出来ません。

充実した毎日を過ごさせてもらえる、私は幸せ者です。