禁野火薬庫

枚方市には、戦前、火薬製造所など旧陸軍施設が3か所ありました。

その一つ禁野火薬庫が1939(昭和14)年3月1日に大爆発を起こし、約700人もの死傷者を出し大きな被害をもたらしました。

当時12歳の少女だったという方のお話をお聞きしました。

大きな爆発音と共に黒煙が上がったそうです。
それを見ていた時、憲兵さんに「ここにいては危ないので早く逃げなさい」と言われ、淀川沿いの堤防を歩き、隣の八幡市まで逃げ込んだそうです。
道中、火の粉が頭の上から数限りなく降ってきたといいます。
一緒に逃げた友人は「もう駄目や。ここで死のう」と言われたそうですが「諦めたらあかん」と友人を励まし、必死で逃げたそうです。
家族とバラバラになり一週間、八幡の宿に身を寄せていたという事です。
その後、家族と会えた事を喜び自宅に戻ると家は焼けてしまっていました。
しかし、「今こうして元気に暮らせている事に感謝しているんだよ。」と笑顔でお話されていました。

強い気持ちを感じました。
戦争を知らない私にこの様なお話を聞かせていただいた事を有り難く思いました。

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